NHKドラマ 坂の上の雲

Saka no ue no Kumo starring Masahiro Motoki

NHK開局以来最大級のスケールで描くスペシャルドラマ

発行部数2000万部。司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』をNHKが総力をあげて映像化。「秋山真之」「秋山好古」「正岡子規」主人公たちの少年期、青年期、壮年期という三つの時期を、三部制のスペシャル大河ドラマとして描く。

3年という長期にわたって放送され、制作規模も「大河ドラマを超える、これまでにないスケール」となっている。物語の主軸を成す「秋山真之」を本木雅弘、「秋山好古」を阿部寛、「正岡子規」を香川照之、「子規の妹・律」を菅野美穂が演じることが決定した。幅広い年齢層で多くのファンを持つ文学作品の映像化、そしてその制作規模から注目度は非常に高く、撮影は2007年秋に開始された。

2009年11月29日に第1回「少年の国」で放送開始。

キャスト
本木雅弘
阿部寛
香川照之
菅野美穂
伊東四朗
竹下景子
松たか子
小澤征悦
加藤剛
西田敏行
國村隼
高橋英樹
堤大二郎
的場浩司
渡哲也
片岡鶴太郎
藤本隆宏
ほか
脚本
野沢尚
柴田岳志
佐藤幹夫
演出
西村与志木
原作
司馬遼太郎『坂の上の雲』
公式サイト
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/

放送予定

第1部 2009年秋
第1回 「少年の国」

260年続いた幕藩体制を倒して、日本には「明治」近代国家が誕生した。その国は、帝国主義まっただ中の西欧列強という「大人」たちに囲まれた「少年の国」であった。四国・伊予松山に三人の男がいた。後に明治日本が直面した最大の危機「日露戦争」において、大きな役割を担うことになる秋山好古・真之兄弟と日本の近代文学を代表する正岡子規である。三人の主人公は松山の人々とその風土の中で育ち、やがて東京へと旅立って行く。

第2回 「青雲」

真之と子規が上京した東京は、文明開化の奔流のただ中にあり、伊予松山とは別世界であった。真之と子規は東大予備門に合格するが、自分たちの将来について悩む。文学を一直線に目指す子規を見て、真之は「自分は何ができるのか」という問いに直面する。「一身独立して国家独立す」という兄・好古の座右の銘を深く考えた真之は、子規と袂を分かち、海軍兵学校に入学して自分の道を探し始める。一方、後に「日本騎兵の父」と言われた好古は、フランスの陸軍士官学校に留学する。明治という生まれたばかりの時代は青雲の志に満ちていた。その中で、三人の主人公は、将来に向かって歩み始める。

第3回 「国家鳴動」

西欧列強の荒波の中に漕ぎ出した「少年の国」明治日本もまた、主人公たちと同じように、世界という舞台で悩んでいた。憲法を制定し近代国家の基礎を固め始めた日本だが、来日中のロシア皇太子ニコライ2世が暴漢に襲われ、ヨーロッパの大国ロシアとの間に緊張が走る。海軍兵学校を卒業し海軍にいた真之と、フランスから帰国し騎兵学校の教官になっていた好古は臨戦態勢に入る。

第4回 「日清開戦」

南下政策を推し進めるロシア、自らの属国と自負する清国、新たに地歩を築きたい日本、その三国の間で朝鮮は揺れていた。朝鮮王室の内紛に端を発して、日本と清国の間に戦争が勃発する。好古は、乃木希典らとともに出征し、旅順要塞の攻撃に参加する。子規は従軍記者として戦場を訪れ、戦争と文明について再認識する。真之は巡洋艦「筑紫」で初めて実践に参加し、現実の惨状に衝撃を受ける。

第5回 「留学生」

日清戦争後、真之たち海軍の若手将校に海外留学の話が持ち上がる。真之はヨーロッパの大国への留学よりも、敢えて新興国アメリカへの留学を決意する。真之の親友広瀬武夫は、将来の日露の衝突を予見し、ロシアへの留学を希望する。真之はアメリカで新興国の勢いを感じ、伝統にとらわれない合理的な戦術に目を見張る。世界情勢は、ヨーロッパ列強に日本・アメリカが参入し、新しい時代を迎えようとしていた。

第2部 2010年秋
第6回 「日英同盟」
第7回 「子規、逝く」
第8回 「日露開戦」
第9回 「広瀬、死す」
第3部 2011年秋
第10回 「旅順総攻撃」
第11回 「二〇三高地」
第12回 「敵艦見ゆ」
第13回 「日本海海戦」

評価

評価の平均
(得票数 2)

Comments

1
都 こんぶ 2009-12-06 (日) 10:50

メモがわり(資料用)に、スタッフ・キャストを。

(第1話)少年の国
[脚本]野沢 尚 柴田岳志、佐藤幹夫[音楽]久石 譲[メインテーマ]「Stand Alone」 唄 サラ・ブライトマン[演奏]NHK交響楽団、東京ニューシティ管弦楽団 [テーマ音楽指揮]外山雄三[脚本諮問委員]関川夏央、鳥海 靖、松原正毅、松本健一、宮尾登美子、山折哲雄、遠藤利男 [脚本監修]池端俊策[時代考証]鳥海 靖[風俗考証]天野隆子 [海軍軍事考証]平間洋一、菊田慎典[陸軍軍事考証]寺田近雄、原 剛[艦船考証]泉 江三[騎兵考証]岡部長忠、末崎真澄、清水唯弘 [軍服考証]柳生悦子 [軍装考証]平山 晋[取材協力]司馬遼太郎記念館
[資料提供]坂の上の雲ミュージアム、子規記念博物館、馬の博物館      Collections Goumont Pathé Archires  British Pathé 倉敷紡績 早稲田大学図書館 The Dock Museum BFI National archive アニドウ・フィルムGetty Images Huntley Film&Television Archive Lumiere アメリカ議会図書館資料映像コレクション[撮影協力]会津若松市・郡山市 安積歴史博物館・埼玉県 川口市・防衛庁 記念館三笠・長野市 博物館明治村・国宝彦根城 美星町観光協会・呉市立下浦刈小学校 廿日市市宮島町観光協会・松山市 内子町・宇城市 天草フィルムコミッション[題字]司馬遼太郎[語り]渡辺 謙
  出 演
本木雅弘(秋山真之)阿部 寛(秋山好古)香川照之(正岡常規 子規)菅野美穂(正岡律)原田美枝子(正岡八重)徳井 優(岡田巡査) 上田耕一(成田) 笑福亭松之助(富田) 蛭子能収(骨董店主)真実一路(大原観山)小林 廉(真之 幼少)染谷将太(好古 少年)ささの貴斗(升 幼少)吉田里琴(律 幼少)田中祥平(好古 幼少)ブレイク・クロフォード(ジョーンズ大尉)マーク・マードック(ベイリー)松たか子(佐久間多美)佐々木すみ江(よし)菊地裕子(戒田湯の女)阿部翔平(巡査) 松田圭祐(イチ公)坂口 淳(タダシ) 上村裕翔・松村剛雄 高橋 平・森久保大河 西海健二郎・土居和真 持丸加賀 萩原真治 横田剛基・磯山億斗 中田晴大・佐藤勇輝 阿部考将 土屋晴生 上野 太・山本 修 枝光利雄・NAC・劇団ひまわり エレメンツ・エンゼルプロ NHK東京児童劇団・テアトルアカデミー グループエコー・劇団東俳 キャロット・長谷川事務所 アクティブハカタ・日本芸能教育センター つくばみらい市のみなさん・長野市のみなさん 犬山市のみなさん・福山市のみなさん 松山市のみなさん・宇城市のみなさん 天草市のみなさん・熊本大学吹奏楽部のみなさん 西田敏行(高橋是清)
[所作指導]橘 芳慧[馬術指導]田中光法 [陸軍軍事指導]堤 明夫[軍楽隊指導]谷村政次郎[砲術指導]佐山二郎[讃唄指導]本條秀太郎 [アクション指導]深作 覚[野球指導]稲見達彦[松山ことば指導]野沢光江[英語監修]バーミンガム・ブレーンズ・トラスト[タイトルバック]菱川勢一[ドキュメンタリー部分映像加工]ドローイング アンド マニュアル[VFXプロデューサー]結城崇史[VFXスーパーバイザー]野口光一 竹下景子(秋山貞)伊東四朗(秋山久敬)
[エグゼクティブ・プロデューサー]西村与志木[制作統括]菅 康弘、藤沢浩一
[プロデューサー]関口 聡[美術]山下恒彦、岡島太郎[技術]川邨 亮[音響効果]西ノ宮金之助[撮影]清水昇一郎[照明]佐野清隆[音声]加村 武[映像技術]横田幹次[VFX]西垣友貴[CG]松永孝治[美術進行]塩野邦男[記録]野田茂子[編集]阿部 格 <キューバロケ>[コーディネーター]八木優子<フランスロケ> [制作協力]NEP Europe Ltd. Breakout FILMS [コーディネーター]清水玲奈<中国ロケ>[撮影協力]国家広播電影電視総局[演出]柴田岳志

2
都 こんぶ 2009-12-06 (日) 13:22

(第1話 少年の国)
すべり出し好調”という感じでしょうか。

 明治初期という時代に、両親から聞いた祖父母、曽祖父がらみの昔話もせいぜいが明治末期~大正初期の話ですし、本家に残る写真も、一番古いもので明治末期ですから、具体的な映像イメージは、想像にしても全く持っておらず、中学~高校の日本史の教科書の文字の羅列、数枚の偉人の写真でしかありませんでしたから、このドラマの映像が、私の明治時代の原風景になる事は、確実だと思います。松山時代の映像は、たぶん東京でも郊外はあんな感じだったんじゃ無いかな、曽祖父母はああやって土手を走り回っていた子供だったんだろうな、と思いました。新橋駅付近や横浜と、郊外・地方とであのくらいの雰囲気の差はきっとあったのでしょうね。

 司馬原作をどうやって90分×13話にまとめるんだろうか?という興味と不安がありましたが、まずは、原作の雰囲気を壊さず、上質な職人芸で脚色されていたと思います。ナレーションのほとんどが原作の文章だったのには驚きました。原作には無かった律と真之のからみ、父母の描写による下級士族の悲哀&誇りと潔癖さ、佐久間家の女中のセリフでの身分・貧富の差の表現、英語の授業~横浜港の流れ、等々、うまく処理したなあと感心しました。

 もの凄いハイスピードでの物語の進行で、ドラマ・物語というよりは、教養歴史番組を見ているようなデジタル感もありましたが、その分、1シーン1シーンの密度の濃さでカバーしていたと思いました。情報量があまりにも多い中、出演者の面々が皆好演で、短い時間の中にも、セリフの行間のようなものが出ていた事は、驚きでした。

 ただこれはイントロダクションの初回なのでありだと思いますが、2回目以降は、もっと緩急・メリハリが無いと見ていて疲れてしまうと思うので、その辺が、ドラマとしての成否の鍵かと思います。ドラマとしてはもっと行間が欲しいんですよね。これは、2回目以降のお手並み拝見という感じでしょうか。・・と言っても、初回で文庫本第1巻の1/3~1/2消化という感じですから、6巻を13回で悪と、これがほぼ平均ペースではあるので、不安はまだ持ち越していますが(笑)。

 予算の関係で無理だと知りつつ、通常の大河ドラマの回数で出来ていたらなあ~と、無いものねだりをしたくなったり・・。

  ほとんど満足な中で、若干、どうかな?と思った点は2つだけありました。
 まずは、秋山家の描き方ですが、貧乏とはいえ当時の士族の父親は、もう少し威厳があったんじゃ無いかなあ?という事。or下級士族だとあんなもんだったんでしょうかね。

 もう一つは、佐久間家のお姫様に、好古が「狆」というシーンですが、お姫様はあの時14才なんですよねえ。あのシーンは松たか子さんでは無く、少女時代ということで別の配役にしたほうが良かったんじゃないかな、と思いました。松たか子さんだとどうしても17-8には見えるから、馬からおろして敬礼して「狆のような目を・・」では・・無礼というか、好古がプレイボーイ的に見えてしまうというか(笑)。

 恐らく、好古は、相手が少女だからという気安さで、子供扱いで「狆」などと言ったのだと思うし、14才の少女が、「陪審の獣のくせに、私を狆と言った!」と怒るところに、おもしろさというか、かわいらしさがあると思うので。

 少年時代の好古は、とても品が良かっただけに、落差を感じたシーンではありました(笑)。

 最後に本木さん・・素晴らしいですね。本木さんって根っからの青春スターなんだろうか?登場の屋根の上で豆を食べるシーンからして、青春スター的な華を感じたし、市川監督が、リバー・フェニックスと言った意味がわかったような気がしました。今後の成長(?)も楽しみです。アニメ顔から劇画顔への移行が。

3
都 こんぶ 2009-12-07 (月) 00:27

第2回「青雲」
うーん・・ちょっと危惧した方向に行っちゃってるような気も・・
1回目と同じペースで行っちゃいましたねえ。ずっとこの駆け足ペースなのかなあ。
あんまりベタベタしたドラマは嫌いなので、このくらいのクールさで良いんですが、ずっとこのペースだと、ダイジェスト見せられてるようで、ドラマのような、そうでないもののような、不思議な番組という感じ。

 真之の煩悶というか、予備門やめて海軍へという流れが、ドラマだとよくわからなかったんじゃ無いですかね。真之にしても、子規にしても、青春!!・・って感じだけになっちゃって、子規も真之も傍若無人ニイちゃん、同級生が漱石だの山田何とかだの有名人揃いで凄かったんだろうなあ・・で終わっちゃう。原作だと、子規も真之も、ちょっと遅く生まれた感を持っていて、先人のやらない分野は何だろう?NO1になれるポジションは何だろう?と、若干の焦燥感とともに模索しているのがよくわかる。その延長が、子規の俳句・短歌だったり、真之の海軍だったり。

 あと、私が最も期待する日露戦争の最後のほうの真之の分裂ぶり・・今日の回はその伏線でもあると思ってたんですが、ドラマだとやっぱり無理なんでしょうかねえ。

 好古に相談に行った場面、好古が「単純であろうとしている」と言った言葉も、原作だともっと意味がわかりやすいんですけどね~。好古も、スパルタ・カッコイイ兄さんって感じだけになっちゃって、魅力半分なんですよねえ。

 出来事てんこもりの原作で取捨選択が難しいとは思いますが、このペースだと、全部にちょこっとずつ触れて、何も描けないで終わる、っていう、ドラマにならないドラマになっちゃう可能性も、感じてしまいました。まだまだ導入部ではあるのでわからないですが、次の第3話も同じペースだと、う~ん。という感じで、半端じゃ無いお金かけてるだけに、焦点しぼれていないのが、ちょっともったいない気がします。

 野沢氏が第一稿の段階で亡くなってしまって、合作のような形になってしまったのもあるんですかねえ。原作のスケッチのような段階で亡くなってしまったという感じなのかなあ。

 まあ、第2話も、つまらなくは無かったですし、香川・菅野の兄妹それぞれの、真之との別れの演技は見応えありましたし、ビジュアル面も好古のフランス留学場面はほんとゴージャス。阿部寛氏と馬はよく似合いますね。

4
都 こんぶ 2009-12-19 (土) 12:12

第3回 国家鳴動

 前半青春&ホームドラマ、後半政治ドラマという趣でしたが、陸かつ南の登場、伊藤・陸奥・川上・登場、東郷登場と、次回以降につながるための回だったせいもあってか、特に後半の駆け足感が強かったです。3回ともほぼ同じペースなので、もうこれはずっとこのままなんでしょうね。こういうドラマなんだと割り切って楽しむしか無いなと思い始めています。

 毎回、90分があっという間に過ぎるので、退屈することは無いのですが、見る側の自然な呼吸と同期する時間の流れが無いので、ゆっくり共感したり納得したりするヒマが無い。場面場面ではそれなりに納得したり良いなあと思うのですが、90分終わってみると、その部分をすっかり忘れている状態で、後に残らない。

 解釈も肉付けも分厚い壮大な司馬原作を13回のドラマ化、しかも原作から逸脱しないという拘束もあり、なんといっても放送延期の影響による尺の短縮の問題が一番大きいのだと思いますが、それならクライマックスから逆算してスタート地点を決めるなど、構造からもっと思い切った取捨選択ができなかったのだろうか?

 なんだかとても律儀なんですよね。官僚的なまでに、律儀。物語の進行速度もぴちっと原作通り消化という感じだし、創作・挿入した部分以外は、司馬氏の言葉そのまま文中から抜粋したり、相当の部分を司馬原作に寄りかかっていて、野沢氏の死去という先入観もあるのかも知れませんが、脚本家不在の印象を感じます。不幸にも、日本海海戦の1ヶ月前に秋山真之が亡くなってしまったという感じなのか。クレジットに野沢尚と入れるからには、その後、尺の短縮などの戦況の変化があったが、野沢初稿をそんなに大幅に改編することもできず、結果、真之・好古・子規の時代の精神と真逆で、個人の思い切った仕事ができなくなってしまったのか。

 キャストも画面もゴージャスで、雰囲気たっぷりなだけに、奇妙なバランスのドラマだなあと思います。戦艦・装備・戦力・物量は、当時の露西亜軍?(笑)。

 しかし、このドラマの場合、清・露西亜と違って個々の将校・兵卒の士気は高そうで、場面場面のグレードは高いですね。好古の婚礼シーンなど大好きですし、「ちんぽがかゆうて」のセリフや陸軍のすっぽんぽんなどもNHKとしてはそれなりの冒険をしていると思います。しかし、全体を通してみると律儀なダイジェスト感が強いのは、やはり真之(脚本=参謀)の不在が大きいのか、「統帥権」(笑)が足りないのか。「RAMPO」の奥山バージョンを思い出しましたが、NHKドラマであれは無理だとしても、蛮勇あるわがままな人の必要を感じます。

 まあ、小さな国だった明治の時代の個人の活気を描こうとして、平成的な、大きな国の小さな個人(良心的だし緻密だが)を感じさせてしまうというのも、それはそれで現象的にあり? とか、平成的シニカルに言ってみたくなったり(汗)。
 
 ・・と、長々とウジウジいろいろ言ってますが、それなりに楽しんでもいます。

 歴史ドラマというのは、基本が、壮大なネタバレ状態なので大変だろうなぁといつも思います。日清・日露で日本が勝つ事は皆知っているし、子規が早逝する事も、真之と律が結ばれない事も皆知っている。「一体どうなるんだろう?日本は勝てるんだろうか負けてしまうんだろうか?」という手に汗握るスリルは無いわけで、あっと驚く意外な展開、というのもありえない。視聴者は好むと好まざるにかかわらず、結果を知っている神の視点で、鳥瞰する立場に立つ。オリジナルのドラマのように、作り手が神様になって、自由に視聴者を翻弄するような真似は出来ないんですよね。

 一億人の神を満足させるのは大変な事ですが、このドラマが一億人全員の神をターゲットにしてはいなさそうな事は、好感が持てます。徳川慶喜は、題材の反動か、ちょっと無理してホームドラマ的にしすぎ感があって、新門辰五郎一家のくだりなどはうるさく感じました。そういう方向に「統帥権」を発揮されて、それが好まぬ方向に行ってしまうのであれば、もともとの原作が良いのだから、今のまま、優秀な官僚的にソツ無く嫌みのない再現ドラマのほうが、全然マシではあるな、と思ったりもします。

 ネットでの感想を見る限り、特に司馬ファンや、昨今の大河ドラマのホームドラマ化・スイーツ化を苦々しく感じていた歴史ドラマファンにはとても好評のようで、歌舞伎やクラシック音楽、古典落語を楽しむみたいな、ちょっと通的な楽しみ方をしている人が多い気がします。「ちんぽがかゆうて・・イヨッ!」「伊藤総理!イヨッ!」「騎馬隊イヨッ!」って、あらかじめ見せ場を知った上で、かけ声をかける感じですね(笑)。

 その「イヨッ!」な需要的には、かこい池の飛び込み台で本木さんが陸軍さんたちを挑発して踊りを踊る場面、勢いだけじゃ無くて、目線などにもっと和的コミカル伝統な味わいがあると、もっと「イヨッ!」だったかな、と思いました。西田敏行さんとかああいうの上手そうですよね。劇場の花道的なあのセッティングは、役者の「一人芸見せ」設営になりえたと思うから、もっとアピールすべきだった。ふんどし一丁・手ぶらの人に難しい注文かも知れませんが、あそこでガチムチ肉体だけが話題になっていたのは本木さん的には少し惜しかったと思いました。

5
都 こんぶ 2009-12-21 (月) 19:34

第4回 日清開戦

 はじめて、原作から大きく離れた回でしたね。
 つい2日前に、脚本が自立していない、独立したドラマになっていない・・と言ったとたんで戸惑ってます(大苦笑)が、そういう意味では、司馬作品の呪縛から離れた、自由さ、は感じました(負け惜しみかなあ(笑))。

 ・・しかし、う~~ん・・微妙~~・・自由に展開するとやっぱりこっちの方向になるのか・・。第2回あたりから不安を持っていた、真之と子規の人物像(青春すぎるというか「青春だけ」に過ぎる)が、私が最も危惧した方向に行ってしまいそうな気がします。
 子規も、真之も、もはや、原作とは別人格ですね。

 まずは、子規。もみじ打ちの場面は好きでした(あそこは原作よりも好きかも)が、従軍場面は・・あれではまるで子規は、頭の回転の遅い単なる鈍いバカな人では無いですか。明るい、まっすぐ、ということは、バカだということとは違うのに・・。

 そして、真之の煩悶。原作では、日清戦争後に子規の家を訪れた場面で、触れているところですね。原作でもわかりにくい真之でしたが、あそこは自分なりに真之という人物の大きなヒントでした。日本海海戦での真之~ラストにつながる重要な伏線だとも思います。 しかし、ドラマのように、東郷に相談したり、広瀬に相談したりするのは、およそ真之らしくない。子規を相手の会話だからこそ、原作のような心の流れになる(しかも「坊主になろうかと思った」と言おうとして、言わずに黙った・・というのが原作)わけで、ドラマのあれはほんとうにあり得ないですね。しかも、「指揮官とは・・」といういかにももっともらしい煩悶にすりかわってしまっているし。

 原作は、「真之はこれほど闘争的な性格にうまれついていながら、人の死からうける衝撃が人一倍深刻であるという自分を知ったのもあのときからであった」で、「坊主になろうと・・」に続く。「指揮官とは」とかいう倫理的な問題じゃ無く、もっと深く突き刺さる肉感的な直接的な感覚・感受性の問題であって、恐らく、倫理や言葉で解決のつくものでは無いはず。ドラマはいかにも深刻そうでしたが、軽い・・軽すぎる。

 原作の真之は、「指揮官とは」といったたぐいの煩悶では無く、時々にフラッシュバックしてくる恐怖感覚に苦しんだはずで、「指揮官とは」という倫理問題に収束できるものではなく、あげくの果てに一体どういう思考経路なのか、「急がば回れ。短気は損気」・・って、完全に脱力しました(苦笑)。あまりにも、アバウトすぎる。

 そもそも第2回で、青春時代の真之の文学志向にも触れていないから、真之の海軍に入るあたりの心情もわからないし、真之と子規の交流もわかりにくい。ドラマだと単なる幼なじみで予備門まで同窓という、センチメンタルな部分でのつながりしか感じられないですが、それだけの関係では無く、もっとお互いに打てば響くという部分があったはず。

 特に子規を単純バカに描きすぎで、漱石もバカっぽかったし、明るさを強調するあまりに、明治の人を冒涜していないか?ん??>制作者

 しかし、ここで「煩悶」など出して来てしまって、いったい真之を日本海海戦までどうやって引っ張っていくのか・・。子規も、鴎外との会話(ジャーナリストの責任的な会話)などもあり、二人ともぐたぐたな人物像になりそうな悪感。
 思い起こせば徳川慶喜のときも同じ感じで、イライラしたものでした。
 

6
都 こんぶ 2009-12-28 (月) 03:05

第5回 留学生

面白かったです。今までの中で、最もドラマらしい説得力があったと感じました。自分としては、ほぼ満足、一番好きな回です(舞踏会で柔術とか、突っ込みどころは少しはあったとはいえ)。日光・ナイアガラでイロコイ族を出したのは、うまかったなあと思いました。1回目といい、高橋是清登場シーンは、どっちもうまくいってますね。

 真之の煩悶については、ちょっと残念ではありますが、真之の人物像を、原作よりもかなりソフトにするのかも知れないですね。本木さんも良い感じだったし、そのほうが本木さんとマッチするかも知れない。自分の好みからは、前回の戦闘シーンから、ダイレクトに今回の子規との会話につなげ(間の創作部分をカットし)て欲しかったですが、今後の展開も考えると、それだとドラマとしてわかりにくいのかな。ソフトな人物像でいくということであれば、「指揮官とは・・」という大いなる脱線(?)も理解できなくもないです(笑)。

 原作だと、真之は、東郷に対しても、尊敬しながらも、傍若無人と言えるくらいにマイペースに振る舞っているし、下の者に対しても碧梧桐の話などでは「恐ろしくて好きだった」ということで、ドラマのような部下からの慕われ方をされそうな感じじゃ無いですね。まあ、原作の真之の人物像からすると、律との関係も、ああいう感じではありえないでしょうし、律自身も、実際はもっとハードな感じの女性だったようだし、全体に、尖った部分は、お茶目というフィルターでソフトにしているんでしょうね。

 もともと、原作も、真之の人物像については、少し首尾一貫しない部分はあるなと感じていました。予備門をやめて海軍にすすむに至る気持ちの流れや、真之の資質について、司馬氏自身が文学者だからということもあって、真之の文学志向を実際よりもクローズアップしてとらえている部分もあるんじゃないかな、と思ったりしたし、後で好古のことを恨むような記述がありますが、予備門をやめる時点の記述では、好古は恨まれる筋合いでは無かったような(笑)。司馬氏自身も書き進んでいくうちに、とっちらかっていったきらいもあるように思います。

 好古・子規の人物像は一貫している(実に楽しそうに生き生きと書いている)のですが、真之についてはちょっと破綻を生じている部分があるような。

 余談ではありますが(..って司馬氏のマネして余談を(笑))、私は、真之という人について、小説を読んでいる時点では、全くとらえようが無かったのですが、「あとがき五」で、徳富蘆花の小説の主人公について書いている(はじめは子規との対象として、後半は真之の憂鬱とイコールのものとして)のを読んではじめて、ああそういうことなのかと、自分なりの真之像が形作られました。

 徳富蘆花は、「涙たたえて微笑せよ」の島田清次郎が世話になった徳富蘇峰の弟で、この司馬氏の「あとがき五」を読む限りでは、蘇峰は父の代理のような存在だったようで、蘆花は父と兄を憎悪していた。「涙たたえて微笑せよ」の島田清次郎は、「明治の息子」「明治に殺された(父の子殺し)」みたいな表現がありましたが、すごくダブって感じます。

 そして、司馬氏は、日露戦争終結とともに蘆花の憂鬱が真之を襲った、と書いていますが、真之は、日露戦争勝利の立役者でありながら、明治の息子にもなってしまった、という二律背反を抱えてしまったんじゃ無いですかね。司馬氏は、「真之は劇的な環境に置かれた」と書いてますが、明治の小説家って明治後期になるとたいてい似た問題を抱えた感じがします。漱石もそんな感じありますよね。司馬氏によれば、「明治国家という、父権的重量感のありすぎる国家」。作るときは楽しかったけど、作ってみたら重かったんだろうなあ・・という感じ?

 純文学の範疇かも知れないですね。真之については、血脇肉躍るナイスガイor悲劇の武士の美学、という歴史小説の範疇では書けなくて、小説本文よりも、あとがきのほうで書いている(小説では書けない。随筆でなら書ける)という感じなんじゃないかなと思いました。NHK大河ドラマでこれをどうするのか???というと、たぶん難しいとしか言いようが無い。「指揮官とは・・」にするしか無いのかも知れないですね。

 ・・司馬氏の「あとがき五」で自分でぴんときた真之とは、意味合いが全然、違ってきてしまうんですが、いちおう妥協することにします。

 子規については・・・前回の従軍体験が今回に全く反映されておらず、まるで従軍がかなわずにずっと子規庵に居た人のようで、前回のあれは無かったことということにするのかなあ(笑)。まあいいかな。

 それにしても、この後11ヶ月待たされるというのは・・・ごちそうを途中で片づけられた犬みたいな気持ちです。

7
teria 2010-01-05 (火) 21:35

感想文と言えるほどの内容ではないので、本当はフォーラムの方に書こうと思ったんですが、長くなってしまったので、ここに。

元日に、録画しておいた「坂の上の雲」第1~5回まで、帰省した長男と昼食休憩を挟んで7時間半、見通しました。かなり疲れましたが、一気に見るとまさに圧巻 ! そういう意味で、1話ずつ見たときとは違った感動もあったし、NHKが総力を挙げて、と言っているだけあって全体としてはハイレベルな仕上がりになっていると思います。
感じることは皆さん大体同じようで、このサイトに寄せられた感想にもありましたが、やはり私も第4回だけは惜しいなと感じます。この物語は日露戦争に主眼が置かれているのだから、あっけなく終わる日清戦争はまあ仕方ないとしても、その中での主演格3人の描き方には納得がいかないなという感じ。
好古の豪放磊落さを見せる手段として、戦場で酒をがぶ飲みし(幾ら酒好きとはいえ)、弾が飛んでくる中を馬で突き進んでいくのか…、従軍の地で、横暴な兵隊の後ろをニコニコしながらついて歩く、およそ文化人とは思えない子規の姿(この辺、ガイドブックのあらすじと全然違うし、鴎外との出会いもそちらの方が不自然さがない)…、真之に至っては、いかに初めての実戦で可愛がっていた部下を亡くし戦争の悲惨さを目の当たりにしてショックを受けたとはいえ、一人池のほとりで憂いに沈むなんて、メロドラマじゃあるまいに…。併せ持つ繊細さを見せる方法はほかになかったのか。実戦とはそういうものだし、あれでは軍人になる心構えが足りなかったんじゃないかと言いたくなる。また、日露戦争での信頼関係の重要性を思えば、ドラマのためにつくられたらしい東郷との会話場面はいいとしても、あの話の流れから、なぜ「急がば回れ」が出てくるのか理解に苦しみました。また、子規の前で「坊主に…」の場面も何かとってつけたような印象で、軍人をやめようとまで思った真之の苦悩をもっと説得力のある描き方で見せてほしかったと、残念です。

ここで終わっていたら、今年暮れの放送を楽しみに待つという気には余りなれなかったのですが、第5回はよかったので救われました。なぜ大国ロシアと戦争しなければならなかったのかが第2部に向けて語られていたし、名参謀・真之が形成されていく序盤の背景が丁寧に描かれていたように思います。

ストーリー展開のほかで印象に残ったのは、映像の美しさです。松山の透き通った青い空のもとの田園の緑の輝き、田舎の古い家に光が差しこんだところと、それが届かない部屋の中の薄暗さの対比、まさに光と影のバランス。あのころは日本の空も汚染されていなくて、東京や横浜のような都会でも空気が澄んでいたんだなとわかるような外と内との明暗はとてもよかったです。
あと、ところどころに挿入される、当時の白黒映像はドラマにリアリティーを持たせていて効果的だったと思います。「戦場でワルツを」でも最後に実写が流れることで、今まで観てきたアニメがフィクションではないんだということを思い知らされます。

今出ているアンケートの第5回留学生 あなたの好きな本木真之は? では、大体が皆いい場面ばかりなので迷ったのですが、〇高橋是清とのシーン に一票を入れました。第1回でも是清との絡みのところが好きでした。

ただ、どなかかも書いておられましたが、3年にわたって放送というのは、見せられる側からするとかなりのマイナスイメージですね。ドラマの質を維持するためと制作費の関係でこれ以外はなかったと言われれば仕方ないのですが、何とかしてせめて2年にできなかったのか、あるいは大河とは別枠で1時間(CMなしの1時間半は老人とかにはやはり長い)30回ぐらいの番組として連続して見せてほしかったというのが本音ですが、定期の大河と並行して放送することはできないのかもしれないし、制作関係者全員で頭をひねり、熟考の末の決断だったのでしょうが、やはり残念です。中には来年の大河が始まるまでのつなぎ番組と思っている人もいたようだし、最後見るまで生きているだろうかとか、冗談まじりの意見もありましたよ。

父親以上に小説「坂の上の雲」が大好きで、「秋山真之」という文庫本も読み、普段テレビドラマというのはほとんど見ることがなく、出演者のだれのファンでもないまだまだ若造の長男の感想。
・ うん、見応えがあってなかなか面白かった。
・ 小説を読んで自分が登場人物に抱いたイメージに一番合っていたのは好古。真之は、まあいい線いってる。子規、しょせん脇役。一番違っていたのが児玉源太郎だそうです。あくまで一若者の感想です。
ちなみに、小説を読んでいない私が一番イメージが合わなかったのは漱石でした。

※ cafeteriaというネーム、長くて嫌だなと前から思っていたので、今年から縮めて「teria」に変更します。
そして、これを機に、チャンスを失いやりそびれていたユーザー登録をしました。今後ともよろしく。

8
都 こんぶ 2011-01-10 (月) 14:28

(第2部)
第6回 日英同盟
第7回 子規、逝く
第8回 日露開戦
第9回 広瀬、死す

 昨年のような過剰な期待は禁物・・と、小説もあえて再読せず、入れ込みすぎずに見た限りでは、大きな落胆も無く、まあ、良いんじゃないかな、と。
 舞台がめまぐるしく世界の都市をかけめぐり、それだけでも見応えがありました。
明治の上層部・指導部というのは、いやが上にも、グローバルにならざるを得なかったんでしょうね。スカパーで再放送されている「徳川慶喜」も同時期に見ていたので、ちょっと前には攘夷、と言っていた国がなあ、と感慨深いものがありました。一般民衆にとっては、明治の外国との戦争も、「攘夷」の延長だったというのは、そんな感じだったんでしょうけどね。慶喜さんの苦労と、伊藤博文公の煩悶とが、オーバーラップしました。

 世界中が変化する時代だったおかな。この頃はどこの国も変化がドラマチックですね。ロシアのニコライ2世の家族が出てきましたが、この人たち15年もしないうちにみんな処刑されるんだなあ・・とか、ちょっと前に、イングリッド・バークマンの「追想」を、慶喜さん再放送目当てで入ったスカパーの無料放送で見たばかりだったので、「この子がアナスタシアかなあ?」とか、「王妃はやっぱり、しっかり者って感じの女優さんを使ってるなあ」とか、雰囲気出ていた映像だったせいもあり、興味深く見ていました。(慶喜さん一家は、処刑されないで良かったなあ。大政奉還・無血開城、素晴らしい)

 私は見ていないのですが「蒼穹の昴」を見ていた人は清国の様子を興味深く見られたのでしょうね。でも清国は、2部では袁世凱くらいだったか。
 それにしても、ニコライ2世も袁世凱も、実物の写真とそっくり。

 随所に出てくる、当時の日本の流行なども面白かったです。真之と季子の見合いの時の「活人画」というのも、和洋折衷的な実に不思議なノリで、上流階級がこんなことやってたんだな~、と。この不思議な和洋折衷ぶりは、ここで活人画の麗人が殺されて、明智小五郎が出てくるのが乱歩だなあ~、とかって妄想していました。

 楽しみにしていた明石の活躍は、駆け足で残念でしたが、塚本晋也さんの怪演といいますか、色々な意味で面白かったです。こういうテレビドラマで見ると、なんかちょっと変なんですよね。映像的にものすごく存在感があるんだけど、セリフをしゃべると全部テンション高すぎて何か変(笑)。他の人たちと、文化というか・・言葉というか作法みたいなものが違う・・みたいな。他の役者さんが、ほとんどをニュートラルでやって、時々アクセルって感じだとすると、塚本さんは、アクセル、ブレーキ、バックの3つでやってる感じというか、ニュートラルにするのに、アクセルとブレーキを同時に踏んでニュートラルにする感じ、というか、ローギアのまま50キロくらい出す感じというか(笑)。なんてったって鉄男だし。徳川慶喜のときの、小笠原図書(若松武史さん)も、ちょっと近い印象だったので、専業の役者さんであるかどうかというより、アンダーグラウンド文化の特徴なのかな。もともと変な人なんでしょうね(笑)。竹中直人さんも変な人寄りだけど、竹中さんはニュートラルもばっちりあるから、大河ドラマに出てきても違和感無いんですけどね。
 話がずれましたが、日英同盟までのいきさつについては、もう少しじっくり描いて欲しかったです。尺の問題があるのが残念ですね。広瀬とアリアズナの話も重要だろうけど、全体のバランスを考えると、あれは挿話に過ぎないから、少ししつこすぎたように思います。もっと歴史をきちんと描くことによって、かえって広瀬とアリアズナの挿話も生きた、ということは無いのかな。

 決定的に不要だと思ったのは、律と季子の交流のくだりです。いわゆるなごみシーン、日本国内の家庭の描写として入れているのだと思いますが、「私の用心棒になってください」「はい」は、ちょっとなあ、という感じで、欺瞞的というか、ちょっと気持ち悪い関係になってしまったなと思います。人間描写から自然に出てくる流れでは無く、銃後の女たちを描きたいが、新たな登場人物を出している尺が無い、ということで、パズル的に律を埋め込んだな、と思いましたが、こういう話の作り方は、私の最も嫌いなドラマ作りで、こういうたぐいのシーンを連発されると、テレビドラマというもの自体を見る気がしなくなってくる。コミックだと、結構この手の無理矢理作りっていうのはよくあるし、あはは、と許して読み飛ばすんですが、ドラマ・・しかも一応硬質ということになっているこのドラマでこれだと、ちょっと。徳川慶喜で、新門辰五郎一家や部下の不倫騒ぎのシーンで、かなりイラっときてましたが、これも同じイライラ感がありました。ドラマを離れて、菅野美穂がほんとにウナギ捌いてるんだろうか、とか、そういう所だけにしか興味持てなくなってしまうのは残念。
 律については、そこまでに何の描写も無いのであれば良いのですが、子規の死までの真之と律の交流、特に律の真之に対する感情を描いてしまっているから、引っ込みがつかない。これの言い訳をしようと思ったら、律を林芙美子の小説の登場人物風、あるいは、林真理子風の、知性があるが美しくないので愛を勝ち取れない悲しい女、ピエロになるしか無い女・・という、ウジウジぐちゃぐちゃを描くしか無いだろうと思いますが、このドラマでそんなことを描いている尺があるとは思えないし、律さんってもっと明治的に背筋の通ったストレートな女性だと思うしね。このくだりは、ちょっと「怒!」でしたね。菅野美穂は上手なだけに、かえってもったいない使い方をしてしまっている気がする。

 あとは、広瀬の死の前の回想シーンがちょっとしつこいなと思いました。第1部の好古の婚礼シーンみたいな、おっ、というアイデアが無かったものかなあ。

 放送開始前に、主人公は明治という時代。明治を描いた群像劇なんだ、というような事を本木さんが言っていましたが、叙事詩って感じなんですね。叙事詩というのは、テレビドラマでは少ないのでは無いでしょうか。だいたいが人間ドラマですもんね。このドラマが叙事詩として完全に成功しているとは思いませんが、試みとしては、面白いかも知れないと思います。成功するには、脚本や演出が一番大きいと思いますが、その中で役者さんができることというと、あまり途中経過を丁寧に描けない中での、単発シーンでの、個々の役者さんの存在感なんでしょうかね。ある種の「単純明快」な記号になる必要があるような気がする。香川子規の熱演にもかかわらず、2部を終わってみると、私には広瀬のほうが印象に残ってしまったのですが、それは藤本広瀬の単純明快さかも知れません。主人公の一人であるにもかかわらずドラマでは好古の描写が少ないですが、小説の好古の古武士ぶり、グローバルぶりの大半を、ドラマの2部の脚本では広瀬に担わせていたような気もします。
 真之は単純明快になりようが無い人物だと思うので、劇画チックなキャラ立ちは難しいでしょうが、本木真之の印象を記号化すると、「海軍さん」ですね。「真之」というよりは「ああ、明治の、エリート海軍さんってこういう感じだったんだろうなぁ」と。
 真之に関しては、海軍に入ってからを、優等生に描きすぎのような気もします。第2部の真之は、たまに屁をするくらいですし。
 「おそろしくて近づきがたかった」「他の同期生などとは話しにならないという感じで相手にしなかったが、広瀬とだけは仲が良かった」という傲慢不遜な「変わり者」キャラとしては描いていない。そのために、誰とでも仲良くできたわけでは無い。その中で例外的に「話するに足る友人」であった子規が死に、広瀬が死に、という、代替のできなさ、孤独感が、ドラマでは伝わりきれなかったと思う。広瀬の死後の真之の嘆き、演技として文句のつけようがありませんでしたが、共感・もらい泣きまではいかなかったのが残念です。
 ドラマの真之の嘆きの中には「全員生還と言ったからか?」という脚本のリードがあった感じがしましたが、これで第3部の203高地~さらなる真之の煩悶に続けていくつもりかも知れませんね。まあ、そのほうがわかりやすいっちゃーわかりやすいのかも知れないけど。

 画像としては、海軍のシーンになったときに、意外と、東郷、島村、真之が面白い映像にならないというか、海軍主要人物の存在感が弱い気がしました。なんでだろう、実物の東郷平八郎の写真が存在感ありすぎなのかなあ。ああいうおじいさん、ドラマの端役でちょっと出てきても「え?なんて言う人?」ってなりそうですしね。なかなか明治の実物の存在感にまで迫れる役者さんは居ない、ってことなのかも知れないですね。
 そういう意味では、御前会議のシーンは、人物の色とりどり感が出ていて、面白かったです。

 今年の年末の第3部、もちろん楽しみにしているのですが、原作のストーリーの進み方から見ると、第2部が終わったところは、全8巻のうちのまだ4巻の途中という感じなので、残りをどう料理するのか、予測がつきません。恐らくバルチック艦隊の航海の悲喜劇はカットされるのだと思いますが、他もかなり駆け足になるのかなあ。あまり過大な期待を持ちすぎないように、でも楽しみに待とうと思っています。

9
都 こんぶ 2011-12-06 (火) 21:27

第3部 10話 旅順総攻撃

 今回は、今までで最も群像劇の色彩が強かったこともあってか、いつもの本木ウォッチャーの視点を離れ、それが逆に、妙にツボにはまった感があります。西村Pや本木氏が、誰が主役だというドラマでは無く明治という時代が主役なんだと再三言っていたのが、なるほどそういうことだったのかとわかった気がします。こんなのドラマじゃ無いだろ、と思っていましたが、こういうのもありなんだな、とはじめて思えた回で、CGの世界と実写の世界の調和が心地よく、真之すらも、参謀というポジションをとっている海軍さんの一人、すべてが歴史の流れの中のひとコマといおうか、歴史を形作る部品の一部といおうか、風景の一部のように感じられる、ちょっと不思議な感覚を味わいました。

 今回の主役は、名もない歩兵たちなんでしょうね。ひとりひとりの兵のエピソードを劇中に挿入することも無く、ひたすら死に向かって突進する歩兵たちを映していったことで、逆に、無言の説得力が生じたと思います。終盤近くの、律と葬儀の列がすれ違うシーンも
同様だと思います。
 乃木が覗く双眼鏡の向こうの茶色い丘の斜面一面に、ばたばたと倒れていく兵士たちの遠景は、人間では無く、まるでオブジェのよう。昆虫のよう。「歩兵」とはこういうものなのでしょうね。近代要塞に突進していく歩兵たちは、後に、航空母艦に体当たりして果てる特攻隊のバクチに通じるものがあると思いますが、飛行機という近代・現代の装備に身を包んでいないせいもあってか、1機に一人という個別性も無いせいか、特攻隊よりも無名性が高く、同じ昆虫でも、特攻隊が蝉なら、歩兵は蟻、というくらいの身分の違いがあるなと思いました。日本の「歩兵」は「足軽」の流れなんでしょうね。封建時代の身分制の名残り、その残酷さ。
 
 日露戦争の頃というのは、世界的には近代前夜、日本国内としては和洋折衷という感じで、今更のようですが、不思議なバランスの時代だなあと思います。律が葬儀の列ですれちがった、山高帽をかぶった和服の人々(ああいうスタイリングは昭和初期まで残っていたようですが)という感じですね。

 それにしても、騎兵隊なんていうのがまだ存在して、好古は工夫してある意味歪曲しながら、曲がりなりにも機能させていたわけですが、それがそう大昔の話というわけでも無いのが驚きです。日露戦争から、第一次大戦までたった10年くらい、第二次世界大戦までたった20年くらい。実にすごいスピードで変化していくのですね。ちなみに、調べたら、ライト兄弟の初の有人動力飛行があったのが日露戦争の前年、キャタピラー社のホルトトラクター(戦車のもとになるトラック)とかいうのが出たのが日露戦争の年でした。 この頃から、人々の生活も、戦争の形態も、がらっと様変わりしていくのでしょうね。そんな渦中の、先進国の一年一年の密度はものすごい濃いものがあったろう。「坂の上の雲」の楽天家たちというのは、日本だけの現象では無かったんじゃないか。いわば細胞分裂の時代。その後、しだいに欧州を皮切りに、精神的に暗雲が漂ってくるのだと思う。第一次大戦で化学兵器まで出てきちゃっては、先進的な人ほど、無邪気な楽天家ではいられなくなっていったことでしょう。

 騎兵隊が実用では無くなったように、江戸時代の武士気質だったといわれる好古のような(広瀬もそうか)豪傑風の、とにかく自分は人間を信じるぜ、風の人間は現れにくくなったことでしょう。うらやましいけれども、もう無理。江戸生まれの好古が騎兵隊(滅び行くカッコいいもの)、明治生まれの真之が海軍(当時の先端のカッコいいもの)参謀(個々を駒・部品として鳥瞰する)~精神世界への没入、というのも、史実ではあるけれども、まるで象徴化のように思えてきました。その後を考えると、「坂の上の雲」というのは手放しで楽天な話でも無い気がしてきます。救いは、日露戦争後の好古が、故郷で教育者として余生を送ったということくらいかも知れない。

 ドラマの部分では、尺の足りなさで話がはしょられ単純化される部分、現代の俳優たちが明治の風景に入っていくことの難しさ(演技が必要な部分ほど)、等々ありますが、豪華キャストの薬効も今回、感じました。登場人物の多い外国の小説を読んでいると、カタカナがならぶせいか、誰が誰だかわからなり、冒頭の人物表に何度も戻らなくてはならないことがよくありますが、一言二言しかせりふが無く、同じ軍服を着ていて、ちらっとしか映らない場面にもかかわらず、一見して今の発言は誰なのか、誰が何を主張しているかわかるのは、豪華キャストのたまものだと思います。群像劇ほど、豪華キャストを使うのが親切、というものかも。
 
 第3部は、第1部2部(普通の人間ドラマ)とは少し違った味わいのドラマになるのかも知れません。楽しみにしています。
 

10
都 こんぶ 2011-12-19 (月) 01:39

第11話「203高地」
 前回同様、名もない兵隊さんたちが主役の回。今回は、なんといっても白兵戦のすさまじさ。。。。あんな風にナイフでギリギリと首切られたりするなら、機関銃で撃たれた方がまだましだよなあ・・と思ったり・・。
 首閉めたり殴り合ったりもしてましたが、ああいう総合格闘技っぽくなるととてもじゃないけどロシア人に勝てる要素無いんじゃないか?広瀬もボリスには勝てたろうが、ヒョードルみたいなの出てきたらかなわないんじゃ?と思ったり。サッカーじゃ無いですが、うまく局面局面で数的有利を作ったりしたのか?でももう、あっちでもこっちでも団子状態で戦ってるカオスの極みでしょうから、そんなこと考えてる暇無いでしょうね。とっさに、「あっちむいてほい!」みたいなことできる人が生き残るのかな。
 ということで、映像に音楽がかぶるだけのシーンが、最も雄弁だったと思います。ほんとこういうのって台詞じゃ無い世界ですね。

 それにしても、203高地を占領した40人の部隊を孤立させ見殺しにしてしまったりでかなりの拙攻。乃木に同情的な脚本・演出のようにも感じられ、伊地知もそれほど憎まれ役にもならず、児玉も乃木との会話で謝罪したりで、このあたりは小説と少し解釈が違いそうですね。

 全体的には、遠景的な部分(戦争シーンなど)と、近景的な部分(台詞のある人間ドラマの部分)とにごった煮感があり、違う要素のものがそのまま消化されずに出てきてしまっているようで、バランス・統一感を考えると決して成功作とは言い難いと思いますが、
そのあたりは目をつぶってと思っています。
 映像+ナレーション+音楽のみ(NHKの教養番組的な)にすれば、歴史的な話はもっと踏み込めるだろうけどそうもいかないだろうし、バランス・統一感を考えて、遠景部分のトーンに併せると、キアロスタミだのアンゲロプロスのような感じになって、とてもじゃないけど大河時間枠のドラマでは無くなってしまうだろうし(笑)。
 平たく言えば、映像にドラマの部分が負けている感があり、NHKの能力として、映像>物語の構築力ってことかな、とも思います。物語の構築力の無さ(物語にリアリティーが薄い)というのは最近のほとんどのドラマに感じることで、たぶん脚本家の人材が乏しいのでは無いか。これは文学の衰退ということとも関係しているのかもなあ。などと思っています。
 だから、まあ、遠景的な部分だけでもそれなりに密度を感じられればよしとしよう、と。
 真之が「戦略:203高地の人」という感じで、小説に描かれる真之とはだいぶ違うキャラクターになっているし、統一感も無いのは、本木ウォッチャーとしては残念ですけどね。

11
都 こんぶ 2012-01-09 (月) 11:45

第12話「敵艦見ゆ」~第13話「日本海海戦」

 クライマックスの回。それまでの流れから、期待半分、残念予想半分でしたが、自分的には、後者で終了しました。
 本木シーンは、蚊帳の後姿の密度感に尽きると思います。あんな感じが出る、というのはサプライズでした。

全体をとおして
(1)遠景部分(役者さんの演技が少ないシーン)と、ドラマ部分(役者さんの演技を見せるシーン)とで、かい離している印象があった
 やはり映画のようにはいかないのかなあ・・という残念感。
 遠景部分は明治だし戦争なのに、役者さんが演技をしている場面は、TVドラマだなあ、と思ってしまう。これ以上は望めないほどの豪華キャストで、会議などで勢揃い・・という場面だとそうでは無いのだけど、個々の演技が入ると、「む??」とちょっとずっこける部分があって、現実にひきもどされる感じ。日本製ドラマの特徴というか、映像技術レベルに比べて、脚本がまず弱いと思いますが、その次くらいに、演出や個々の役者さんの演技も弱いんですかね。
 一昔前のポップス音楽でよく感じた、イントロやアレンジはやたらかっこいいのに、歌が入ると、メロディー・歌詞・歌唱力ともにずっこける・・・という感じに近いかも。イントロなどのアレンジは、勉強すればある程度職人さん芸でできる分野で、アンテナ張ってれば海外の流行先端のおいしいところをすぐにかっぱらってこれるけど、メロディー・歌詞・歌唱力はそうはいかないからなぁ、こっちが実力ってことだな・・みたいな。
 
(2)特異な形のドラマだった中の、役者本木について
 もちろん、第3部は、尺の足りなさもあって、ドラマ部分をじっくり見せる余地が無かったのは大きい。制作側も、開き直ってたんですかね(笑)、ドラマというよりも歴史教養番組みたいな感じになった。ああいう中で、個々の役者さんができる事は少ない。小技よりも、ぱっと映ったときのインパクトの勝負だったと思う。
 常日頃から、本木さんは形から入ると言っているように、写真などで知り得る限りの秋山真之に肉薄していたと思うけれど、ああいう編集になってしまうと、そのやりかただと、主人公アイコンとして弱くなってしまうじゃないか、という気はしました(蚊帳の後ろ姿を除いて)。

*余談:これからの「運命の人」でもそうなんですけど、北大路きんやさんでも、あんな濃い顔してても佐藤栄作の写真のインパクトにはたぶんかなわない気がする。フィクションだとは言ってもどうしても佐藤栄作を連想しちゃいますから、時代が近いだけに、大変だと思う。ドラマで政治家とか出てくると必ずウソくさい。「大物政治家」とか言えば言うほど、嘘くさくなる(笑)・・あれはいったいどうすれば良いのか、見る側でも色々考えちゃいますけど(笑)。ハリウッドの俳優でも大統領役とか難しいんでしょうけどね。

(3)秋山が「ありがち」なキャラになってしまってた件

 話を元に戻すと、秋山真之というのは、やはり難しいキャラだったと思います。と言っても、脚本は、「ありがち」なキャラに修正してて、自分的には、それが気に入らなかった、ってことかもなあ(笑)。
 「ありがち」キャラというのは、ほんとはどこにも居ない人間、だと思うんですよね。上で、アイコン、って言ったのと矛盾するように聞こえるかも知れないけど、私はむしろそのまま本木雅弘のほうが、秋山真之に近づけるような気がしてました。秋山真之という一人の人間の中にある振幅というか、思考や感情の範囲というかそういうもの。秋山であろう(秋山から逸脱しない)と思うと、どうしてもあ、違うかなとかってセーブして、生き生きと動けない部分が出てきちゃうと思うし、統一性の無い脚本だと、それって先週の人と別人?に思えてしまうこともあると思う。本木さんは、優等生というか、脚本に忠実・素直だと思うけど、脚本があれ?って方向の時に、さらにその方向で演技をすると、全体として「え?」ってなってしまう事もあるなと思いました。(「ありがち」が増幅)
 最近のどのドラマでもそうですが、「天才」とか「優秀」とか台詞では言われていても、凡庸な人物にしか見えないのは、脚本が「ありがち」キャラにしてしまうせいだと思う。非凡なはずの人物が実感に乏しい「ありがち」な言葉しか吐かないんだもん(笑)。脚本家の力量の面もあるけど、脚本家のその人物を描こうとする動機も薄い、んだと思うんですね。
 それでも役者さんに「やれ」、っていうのも過大な期待だとは思うけど、そこで「何かある人物かも」って思わせる部分があるとしたら、役者さん個人個人の実感を出していくしか無いんじゃ無いのかな、と思ったりしてます。

(まとまらない長文になってしまってすみません。40代中盤の本木プロジェクトが終わった・・ということで)

12
都 こんぶ 2012-01-22 (日) 03:32

第12話「敵艦見ゆ」~第13話「日本海海戦」

 クライマックスの回。それまでの流れから、期待半分、残念予想半分でしたが、後者があたってしまいました。
 本木シーンは、蚊帳の後姿の密度感に尽きると思います。あんな感じが出る、というのはサプライズでした。

全体をとおして
(1)遠景部分(役者さんの演技が少ないシーン)と、ドラマ部分(役者さんの演技を見せるシーン)とで、かい離している印象があった
 やはり映画のようにはいかないのかなあ・・という残念感。
 遠景部分は明治だし戦争なのに、役者さんが演技をしている場面は、TVドラマだなあ、と思ってしまう。これ以上は望めないほどの豪華キャストで、会議などで勢揃い・・という場面だとそうでは無いのだけど、個々の演技が入ると、「む??」とちょっとずっこける部分があって、現実にひきもどされる感じ。日本製ドラマの特徴というか、映像技術レベルに比べて、脚本がまず弱いと思いますが、その次くらいに、演出や個々の役者さんの演技も弱いんですかね。
 一昔前のポップス音楽でよく感じた、イントロやアレンジはやたらかっこいいのに、歌が入ると、メロディー・歌詞・歌唱力ともにずっこける・・・という感じに近いかも。イントロなどのアレンジは、勉強すればある程度職人さん芸でできる分野で、アンテナ張ってれば海外の流行先端のおいしいところをすぐにかっぱらってこれるけど、メロディー・歌詞・歌唱力はそうはいかないからなぁ、こっちが実力ってことだな・・みたいな。
 
(2)特異な形のドラマだった中の、役者本木について
 もちろん、第3部は、尺の足りなさもあって、ドラマ部分をじっくり見せる余地が無かったのは大きい。制作側も、開き直ってたんですかね(笑)、ドラマというよりも歴史教養番組みたいな感じになった。ああいう中で、個々の役者さんができる事は少ない。小技よりも、ぱっと映ったときのインパクトの勝負だったと思う。
 常日頃から、本木さんは形から入ると言っているように、写真などで知り得る限りの秋山真之に肉薄していたと思うけれど、ああいう編集になってしまうと、そのやりかただと、主人公アイコンとして弱くなってしまうじゃないか、という気はしました(蚊帳の後ろ姿を除いて)。

*余談:これからの「運命の人」でもそうなんですけど、北大路きんやさんでも、あんな濃い顔してても佐藤栄作の写真のインパクトにはたぶんかなわない気がする。フィクションだとは言ってもどうしても佐藤栄作を連想しちゃいますから、時代が近いだけに、大変だと思う。ドラマで政治家とか出てくると必ずウソくさい。「大物政治家」とか言えば言うほど、嘘くさくなる(笑)・・あれはいったいどうすれば良いのか、見る側でも色々考えちゃいますけど(笑)。ハリウッドの俳優でも大統領役とか難しいんでしょうけどね。

(3)秋山が「ありがち」なキャラになってしまってた件

 話を元に戻すと、秋山真之というのは、やはり難しいキャラだったと思います。と言っても、脚本は、「ありがち」なキャラに修正してて、自分的には、それが気に入らなかった、ってことかもなあ(笑)。
 「ありがち」キャラというのは、ほんとはどこにも居ない人間、だと思うんです。上で、アイコン、って言ったのと矛盾するように聞こえるかも知れないけど、私はむしろ、あまり演技が入らない、そんなに作り込まない本木雅弘のほうが、秋山真之に近づけるような気がしてました。秋山真之という一人の人間の中にある振幅というか、思考や感情の範囲というかそういうものは、秋山であろう(秋山から逸脱しない)という課題を科すと、どうしても、これは違うかなとセーブして、生き生きと動けない部分が出てきちゃうと思うし、統一性の無い脚本だと、それって先週の人と別人?に思えてしまうこともあると思う。本木さんは、優等生というか、脚本に忠実・素直だと思うけど、脚本があれ?って方向の時に、さらにその方向で演技をすると、全体として「え?」ってなってしまう事もあるなと思いました。(「ありがちキャラ」が増幅していまう)
 最近のどのドラマでもそうですが、「天才」とか「優秀」とか台詞では言われていても、凡庸な人物にしか見えないのは、脚本が「ありがち」キャラにしてしまうせいだと思う。非凡なはずの人物が実感に乏しい「ありがち」な言葉しか吐かないから(笑)。脚本家の力量もあるし、その人物を描こうとする動機も薄い、ということもあるるんだと思う。
 それでも役者さんに「やれ」、っていうのも過大な期待だとは思うけど、そこで「何かあるかも」って思わせる部分があるとしたら、役者さん個人個人の実感しか無いんじゃ無いのかな、と思ったりしてます。
 

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